吉村昭の歴史小説の舞台を歩く

小説家 吉村昭さんの読書ファンの一人です。吉村昭さんの歴史記録文学の世界をご紹介します。   

吉村昭「白い遠景」-『私の生まれた家』から

「白い遠景」には吉村昭の作家の原点を浮き彫りにした初期の随筆がまとめられています。

その「白い遠景」の中に『私の生まれた家』というタイトルの随筆があります。

吉村昭の生家は東京の日暮里町(日暮里図書館の近く)にありましたが、空襲が激しくなった頃、その生家から少し離れた、現在の日暮里駅近くに父親が新築の家を建て、中学生だった吉村少年はその家に移り住みます。

その情景に触れた随筆の中から、今回訪ねた場所をいくつかご紹介します。

父は、谷中の墓地に近い場所に隠居所ともいうべき家を新築させていた。すでに子宮癌で病臥していた母のために作った家で、総檜作り数寄屋風の平屋であった。建坪は六十坪ほどで、庭は広く築山も作られていた

下の写真は、当時移り住んだ隠居所があった辺りです。

今は「ホテルラングウッド」になっています。駅から1分の立地で、吉村昭が日暮里を散策する際に、このホテルのレストランでサンドイッチとコーヒーの軽食を召し上がっていたそうです。

故郷で初めて講演をしたのもこの場所でした。また、平成18年に亡くなられた時の「お別れの会」もこの場所で催されています。

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「ホテルラングウッド」の近くに「禅性寺」という日蓮宗のお寺があります。

このお寺は、寛文4年(1664)に六代将軍徳川家宣の生母長昌院がここに葬られて以来、将軍家ゆかりの寺になっています。

家宣の弟松平清武がここに隠棲したため、しばしば将軍も訪れています。

また、上野戦争では彰義隊の屯所となりました。墓地には名横綱双葉山、政治家の石橋湛山の墓があります。

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禅性寺の前に、羽二重団子の老舗があります。

寺の前には、羽二重団子という老舗がノレンを垂らしている。少年時代、私は母に命じられてしばしば醤油焼きとつぶし餡の二種類の団子を買いにやらされた。主人夫婦は健在で、若主人夫婦も店にいる。変転きわまりない時代なのに、団子の味は私が少年時代に味わったものと変わらず、その店で団子を食べていると、生家の記憶が自然とよみがえってくる。姉、祖母、四兄、母、父と相ついで世を去った肉親のことが思い出され、自分が生きていることを不思議にも思ったりする。(「白い遠景」)

この羽二重団子の老舗は、夏目漱石の「我輩は猫である」にも登場してきます。また、近くに正岡子規が住んでいたことから、正岡子規の俳句でも詠まれています。

店内に入って、まず目に入るのは、正面のケースに入れられた刀剣や槍です。それらは、慶応4年の上野戦争の折に、芋坂を駆け下り、店に入り、縁の下に投げ入れたもので、百姓の野良着に変装して、日光奥羽方向に落ち延びて行ったということです。

ここにも上野戦争がありました。

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