吉村昭の歴史小説の舞台を歩く

小説家 吉村昭さんの読書ファンの一人です。吉村昭さんの歴史記録文学の世界をご紹介します。   

吉村昭「陸奥爆沈」を追う旅・横須賀

 昭和44年4月、吉村昭は岩国市の紹介紀行文を書くために、編集者山泉進氏と柱島に行くことにしました。

 その理由の一つに小説「戦艦武蔵」を書いていて、戦艦武蔵の訓練基地であり、最後に攻撃命令を受けて、出撃した場所も「柱島泊地」だったことから、「訪れないことに後ろめたさが潜んでいたから」と記しています。

 この柱島は、瀬戸内海の周防大島の沖にある島で、戦艦陸奥の他に戦艦大和もこの場所から出撃していて、戦艦、巡洋艦駆逐艦航空母艦など100隻以上の艦艇が勢ぞろいしていた時もあったというほど海軍にとって重要な泊地でした。

 この場所で、昭和18年6月8日正午頃、旗艦ブイに係留中の戦艦「陸奥」は、大爆発を起こして船体を分断し、瞬く間に沈没したのです。小説「陸奥爆沈」では、あらゆる角度から過去の調査を分析し、その謎に迫っています。

 吉村昭が「あとがき」で「一般の小説形式とは異なって、私自身が陸奥爆沈という対象にむかって模索する過程を描いているが・・・」と書いているように、いつの間にか、私も沈没の謎について吉村昭と一緒に追求していくような気分で読み進めていました。

                             

 今回、「陸奥爆沈」に関係する場所として、横須賀港に行ってきました。

 横須賀港は、かつて横須賀海軍工廠として戦艦陸奥を建造したところで、現在も海上自衛隊アメリカ海軍基地がある軍港として引き継がれています。

また、その対岸に横須賀港を一望できる「ヴェルニー公園」があって市民の憩いの場になっています。

「戦艦陸奥」主砲の里帰り 

 ヴェルニー公園に現在「戦艦陸奥」の主砲身が展示されています。

 戦艦陸奥は大正10年に就役し、戦艦長門とともに日本の海軍を牽引する象徴として世界にその名を轟かしていましたが、第二次世界大戦ではほとんど出番がないまま、昭和18年6月18日に柱島沖(周防大島伊保田沖)で原因不明の爆発事故を起こし沈没してしまうのです。

 総員1471名のうち死者1121名、生存者わずか350名という大惨事でした。しかし、世間に公表されることはありませんでした。遺族に知らされたのも事故から2年後のことだったようです。しかも、生存者のほとんどが最も厳しい最前線に送られてしまうのです。いかに、爆沈した事実を秘匿しておきたかったかが分かります。

 小説「陸奥爆沈」では、戦艦陸奥の爆沈の原因は何だったのか、その謎を追った記録が克明に記されています。

 戦艦陸奥は戦後、瀬戸内海の42メートルの海底から引きあげが行われ、昭和45年には艦体の一部や菊の御紋章、主砲塔、主砲身などが回収され、日本各地で展示された後、この主砲身は「船の科学館」に展示されていました。

 その後、2020東京オリンピックに伴う再開発のため移転をすることになり、平成29年3月に「戦艦陸奥」の故郷である横須賀港に里帰りしてきたのです。

 主砲は41インチ砲で、長さが約18.8メートル、重さは約102トン、主砲8門のうち4番砲塔の一門で、昭和11年に横須賀海軍工廠で行われた大改修の際に搭載されたものです。

    主砲展示の横に「ヴェルニー記念館」があります。

 ヴェルニーとは幕末に日本国内で初めて造られた近代式造船所「横須賀製鉄所」を建設したフランス人技師で、記念館はその功績を紹介するためにつくられた博物館です。

 ヴェルニー記念館に入ると、戦艦陸奥の100分の1の精巧な模型が展示されています。解説ボランティアの方がいて、丁寧に説明もしてくださいます。

    このパネルは、明治22年当時の横須賀製鉄所(造船所)を紹介したものです。

 元横須賀製鉄所の向かいにヴェルニー記念館が位置しているので、下にある位置図と照らして当時の様子を想像することができます。

 これは、横須賀製鉄所に当時据え付けられていたスチームハンマーの実物展示で、当時オランダから輸入されたものです。

蒸気の圧力で大型の鉄の加工を可能にするもので、これにより国内で艦船が造れるようになりました。

 ヴェルニー公園から海上自衛隊の艦船を見ることができます。時代は変わりましたが、横須賀港が担っている軍港としての役割は今も継承されているのがわかります。

 下の艦船は、「いかづち」という護衛艦です。

 こちらは海上自衛隊の潜水艦で「たいげい」だと思います。横須賀港にはこうした海上自衛隊の軍艦などのほか、アメリカ海軍のイージス艦や大型潜水艦なども停泊しています。

 横須賀港にはクルーズ船「 YOKOSUKA軍港めぐり」が就航していて、港湾施設内にある海上自衛隊アメリカ海軍の軍艦や潜水艦を間近で見ることができます。

 ヴェルニー公園の中央には、ヴェルニーさんの胸像があります。

 ヴェルニーさんの隣には「小栗上野介忠順」の胸像があります。

 小栗上野介忠順は、日本初の遣米使節を務め、外国奉行勘定奉行など徳川幕府末期の要職を歴任し、フランスの支援のもと、横須賀製鉄所(造船所)の建設を進めた方です。

 大政奉還後も、徹底抗戦を主張していたため役職を解かれ、領地の上野国田村(群馬県倉渕村)に移りますが、何の取調べもないまま、官軍により斬首されてしまいます。

私は前に童門冬二さんの小説「小栗上野介 日本の近代化を仕掛けた男」(集英社文庫)を読んだことがありました。

爆沈していた「戦艦三笠」

 さて、タイトルにあった「陸奥爆沈の謎」についてはまだ触れてませんでしたが、実は今も「不明」とされているのです。

 吉村昭の記録小説「陸奥爆沈」では、詳細に「査問委員会」の内容や経過、関係者による調書なども詳らかに書かれています。

 査問委員会では当初「自然発火説」を有力視していましたが、諸条件を考え合わせ実験を重ねた結果、装薬の自然発火は決してあり得ないことが確認されたということです。

ただし、常識では考えられないこととして、装薬缶の蓋が全て開けられていた時には装薬の発火により、誘爆を起こし、大爆発となることも判明したのです。

 実は、「戦艦陸奥」の爆沈以前にも、同様に停泊中に爆沈している軍艦がいくつかありました。そのうちの一つが、この「戦艦三笠」です。

 

 戦艦三笠は、日本海連合艦隊の旗艦として東郷平八郎の指揮のもと、ロシアのバルチック艦隊を殲滅し、日本側に勝利をもたらしたことは教科書で習いましたが船舶中に爆沈したことは知りませんでした。

 戦艦三笠の爆沈は、日本開戦から3ヶ月後の明治38年9月11日のことです。佐世保港に寄港していた時に爆発炎上し、その場で沈没してしまいます。やはり、この時も多数の死傷者を出しました。

 その後、査問委員会が開かれましたが、やはり解明には至りませんでした。

 原因については諸説ありますが、記録小説「陸奥爆沈」の中で、旧海軍技術少佐の福井静夫氏が「日本海戦に勝利をおさめ、浮き浮きした空気にあふれ、解放的な気分で祝酒も出されていた、その中の数人が深夜、火薬庫に酒を持ち込み宴をひらき、その時にローソクが倒れ、火薬に引火し、火薬庫が大爆発を起こした」と証言しています。

 「戦艦三笠」の爆沈についても最終的には、原因不明の事故として処理されているのです。

 

 戦艦三笠は、爆沈後、停泊していた海底が浅かったことから、引きあげて改修され、現役として第一次世界大戦にも参加します。

その後、ワシントン軍縮会議で廃艦が決まりますが、何とか解体を免れ、現在の横須賀新港にコンクリートで固定展示されることになったのです。

記念艦三笠」は横須賀新港の三笠公園に展示されています。

陸奥爆沈の謎

 話は「戦艦陸奥」に戻ります。戦艦三笠を含め乗組員の行為により、火薬庫爆発の事故を起こしているものが3件(「三笠」「磐手」「日進」)あります。他にも原因不明として2件(「松島」「河内」)あります。

 日本海軍は「戦艦陸奥」についても乗組員の行為ではないかと疑いを抱きます。そして、査問委員会は或る一人の人物を特定します。吉村昭の取材により当時技術少尉だった鈴木氏から名前が明かされます。

 特定されたQ二等兵曹は艦内で盗みをはたらいていたことから、軍法会議にかけられ処罰されることを恐れ、絶望的になり、罪状隠滅のため火薬庫に入り、火を放ったというのです。

しかし、Q二等兵曹の行方は分からず、死体も確認できないことから今も謎とされています。

下の写真は、戦艦三笠の主砲です。

戦艦陸奥爆沈に秘められた衝撃的な事実

 小説「陸奥爆沈」の「あとがき」に、ミステリーを思わせるような衝撃的な事実が語られていました。

この作品が単行本として出版された頃、瀬戸内海に沈む戦艦「陸奥」の引揚げ準備が進められていたが、間もなく実施に移された。

昭和四十五年七月二十三日、まず砲塔が二十七年ぶりに海面から姿を現わした。

その内部からは一体の遺骨と印鑑二個が発見されたが、印鑑の一個にはQ氏の姓、他の一個には姓と名が刻まれていた。

これをどのように解釈すべきか、私の判断の範囲外にある。

 戦艦陸奥の資料については、横須賀の他に「陸奥記念館」(周防大島)等にもあることがわかりましたので、日本海軍の重要拠点であった瀬戸内海の柱島泊地にも訪れてみたいと思いました。

 横須賀新港に固定展示された「記念艦三笠」から、無人島の「猿島」がよく見えます。この「猿島」は幕末から要塞の島でした。日本で初めて築かれた台場も「猿島」です。島内には今も当時の要塞の足跡が残されています。桟橋から10分ほどで上陸することができます。