2022-01-01から1年間の記事一覧
昭和44年4月、吉村昭は岩国市の紹介紀行文を書くために、編集者山泉進氏と柱島に行くことにしました。 その理由の一つに小説「戦艦武蔵」を書いていて、戦艦武蔵の訓練基地であり、最後に攻撃命令を受けて、出撃した場所も「柱島泊地」だったことから、「訪…
吉村昭「戦史の証言者たち」- 山本連合艦隊司令長官の戦死-から 吉村昭のお墓のある越後湯沢で一泊し、翌日、河井継之助と山本五十六を生んだ長岡の町を探訪しました。 吉村昭の著書で「山本五十六」を扱ったものとしては、「海軍乙事件」(文春文庫)、「戦史…
吉村昭先生(命日7月31日)のお墓をお詣りしました 吉村昭氏は平成18年7月31日未明に永眠されました。翌年の8月に生前に定めていた越後湯沢の墓所「大野原霊苑」(湯沢町の町営墓地)に納骨されています。納骨を1年後としたのも遺言としていたからです。このこと…