吉村昭の歴史小説の舞台を歩く

小説家 吉村昭さんの読書ファンの一人です。吉村昭さんの歴史記録文学の世界をご紹介します。   

企画展『吉村昭の手紙』を見学し、歴史小説の舞台となった下町を探訪します

吉村昭記念文学館」の「友の会」に入っていると、ありがたいことに年に数回行われる企画展やイベントの案内が郵送されてきます。

先日、令和5年度第2回企画展「吉村昭の手紙」の案内と図録が届いたので、新緑に誘われ、都電荒川線に揺られて「吉村昭記念文学館」のある「ゆいの森あらかわ」に行くことにしました。

「ゆいの森あらかわ」は「荒川二丁目」の駅から歩いて、すぐの場所にあります。

「ゆいの森あらかわ」と「吉村昭記念文学館」については、このブログの最初の記事で紹介しているので、詳しくはそちらをご覧いただけるとありがたいです。

正面の扉のガラス面に今回の企画展のポスターが貼られています。飾らない、人情味のある下町らしさが、何処となく感じられます。

館内に入り、エスカレーターで3階に上ると、企画展の会場です。入場無料というのが素晴らしい。

展示では、手書きの文章や、年月を経た手紙の状態、そして万年筆の筆圧から、そのときの心情や、奥にしまっておいた素直な気持ち、揺れ動く心理状態が伝わってくるようです。

特に結婚前の手紙は、憚ることがない二人だけの世界ですから、吉村昭を敬愛する読者には興味深いところ。いずれも生資料の重みがなせる技でしょうか。

 

また、影響を受けた作家との手紙の交換や、映画などを通して交流されていた方との手紙も展示されていて、吉村昭の人的交流、人間関係の幅の広さと奥行きをあらためて感じます。

 

そして、歴史小説に関しては、読者や関係者との間で交わされた手紙も多く見ることができます。そこからは史実を追うことに几帳面なまでに徹していた吉村昭の誠実さが伝わってきます。

 

今はスマホで相手に手軽に気持ちをつたえることができて便利ですが、文字を打つ行為からは、手紙のように行間にある思いは伝わりません。やはり、手紙はいいですよね。

いつ来ても、ワクワク感が高まる常設展の入口。

企画展の後、2階の常設展を見学することにしました。入口には吉村昭の代表作の小説が埋め込まれているようにデザインが施されています。

 

吉村昭は亡くなる1年前に、最後となる歴史小説彰義隊」を書き上げています。この小説は吉村昭自身が生まれ育った郷里に想いを寄せながら書いたのではないかと思っています。

小説に出てくる舞台は上野から始まり、都電荒川線沿いにその場所は今も点在しています。

 

吉村記念文学館を後にし、「彰義隊」を初め、歴史小説に登場してくる東京の下町の舞台を訪れてみたいという衝動に駆られてきます。

彰義隊」、「冬の鷹」・・・。

再び都電荒川線東尾久三丁目まで行きます。

運賃は大人170円なんですが、400円の一日乗車券を買うと何回も乗り降りできるのでとてもお得。

この駅の近くにある「万光寺」と「阿遮院」は、「 彰義隊」で寺の前を通る輪王寺宮一行の姿が描かれています。

上野戦争で落ちていった彰義隊士や、追われる身となった 輪王寺宮一行に想いを馳せながら歩きます。

再び都電荒川線に。終着駅の三ノ輪橋まで行きました。車窓を見ながら下町の風情を楽しみます。

ちょうど、バラが見ごろを迎えていました。

そこから、しばらく歩いた先に円通寺があります。円通寺は戦死した彰義隊士を弔った寺院です。

境内には明治時代に寛永寺から移設した旧上野の黒門があります。上野戦争の際の弾痕が数多く残っており、今では貴重な文化財ですね。

墓石の他にも、吉村昭歴史小説に登場する旧幕府軍の方の石碑が置かれています。

下の写真にある石碑には、歴史小説「夜明けの雷鳴」の主人公の高松凌雲の名前があります。

円通寺から、南千住に向かうと駅の近くに回向院があります。

回向院は、江戸から明治初期の史跡「小塚原の刑場跡」で、安政の大獄で処刑された志士たちの墓碑があります。

回向院に入ると右手に「観臓記念碑」があります。これは「腑分け」と「解体新書」の翻訳、刊行を記念して設置されたもので、その成立過程を詳細に描いた作品が歴史小説「冬の鷹」でも登場してきます。

墓標の中には、吉村昭歴史小説「梅の刺青」に登場する雲井龍雄や、「桜田門外ノ変」の主人公の関鉄之介の遺墳があります。

南千住から地下鉄で上野に来ました。

下谷神社の例大祭で神輿が出ていて、威勢のいい掛け声があがっています。6年振りの神輿だそうです。

近くに安政創業の老舗の蕎麦屋「蓮玉庵」があります。森鴎外の「雁」にも登場しますが、吉村昭も通っていたということで、来てみましたが、ランチの時間に間に合わず、残念な結果に。またの機会にすることに。

上野まで来たので、彰義隊の縁の地、寛永寺にも足を運びました。寛永寺輪王殿にある黒門にも弾痕がいくつもあります。

寛永寺の根本中堂は工事中でしたが、境内には当時の建物が現存しているので、彰義隊に纏わる歴史を感じます。特に上野戦争の遺構もあるので、興味のある方はぜひ、立ち寄ってみてください。

ということで、「吉村昭の手紙」の企画展示をきっかけに、吉村昭が最期に残した小説「彰義隊」の舞台を久しぶりに歩いてみました。