吉村昭の歴史小説の舞台を歩く

小説家 吉村昭さんの読書ファンの一人です。吉村昭さんの歴史記録文学の世界をご紹介します。   

吉村昭ゆかりの吉祥寺散歩

今回は、三鷹市吉村昭書斎ができたということで、吉村昭ゆかりの吉祥寺や井の頭公園を巡り、三鷹市吉村昭書斎をご紹介したいと思います。 渋谷駅から京王線で吉祥寺駅にやってきました。 ここは、駅前のハーモニカ横丁です。ここに吉村昭が締めに食べていた…

谷口桂子著「食と酒 吉村昭の流儀」の舞台を歩く

今回は、吉村昭さんの故郷、日暮里と谷中を歩きます。歩くコースは谷口桂子さんの著書「食と酒 吉村昭の流儀」の第3章下町の味を参考にしてみました。 スタートは西日暮里駅です。 線路沿いの坂を登っていくと、諏方神社があります。 吉村昭さんのエッセイで…

「三陸海岸大津波」「幕府軍艦『回天』始末」「星への旅」の舞台を巡る

今回、念願の「三陸の海」を旅することになりました。 目的は、吉村昭さんが作家として再復活を遂げるきっかけともなる小説「星への旅」を書くために現地を訪れ、着想した場所である田野畑村に行くことでした。 この「三陸の海」は御夫人の津村節子さんの小…

吉村昭「破船」がフランスで映画化

吉村昭「破船」が読まれています 「破船」を最初に読んだのは、今から6年ほど前です。確か「羆嵐」や「漂流」を読んだ後だと思いますが、それまでは史実をもとにした記録小説のイメージを強く持っていたので、吉村昭の新たな世界観に触れたような感想を持ち…

吉村昭「陸奥爆沈」を追う旅・横須賀

昭和44年4月、吉村昭は岩国市の紹介紀行文を書くために、編集者山泉進氏と柱島に行くことにしました。 その理由の一つに小説「戦艦武蔵」を書いていて、戦艦武蔵の訓練基地であり、最後に攻撃命令を受けて、出撃した場所も「柱島泊地」だったことから、「訪…

河井継之助と山本五十六を生んだ新潟県長岡のまちを訪ねて

吉村昭「戦史の証言者たち」- 山本連合艦隊司令長官の戦死-から 吉村昭のお墓のある越後湯沢で一泊し、翌日、河井継之助と山本五十六を生んだ長岡の町を探訪しました。 吉村昭の著書で「山本五十六」を扱ったものとしては、「海軍乙事件」(文春文庫)、「戦史…

吉村昭 「わたしの普段着」・「味を追う旅」の舞台を歩く

吉村昭先生(命日7月31日)のお墓をお詣りしました 吉村昭氏は平成18年7月31日未明に永眠されました。翌年の8月に生前に定めていた越後湯沢の墓所「大野原霊苑」(湯沢町の町営墓地)に納骨されています。納骨を1年後としたのも遺言としていたからです。このこと…

吉村昭「白い遠景」-『私の生まれた家』から

「白い遠景」には吉村昭の作家の原点を浮き彫りにした初期の随筆がまとめられています。 その「白い遠景」の中に『私の生まれた家』というタイトルの随筆があります。 吉村昭の生家は東京の日暮里町(日暮里図書館の近く)にありましたが、空襲が激しくなった…

吉村昭「天狗争乱」の舞台を歩く(水戸編)

「尊皇攘夷」に命をかけた志士たち 元治元年(1864)4月13日朝、下野国都賀軍栃木の家並みは霧雨でかすんでいた。肌寒い朝であった。 町の中には、日光例幣使道と呼ばれる幅広い街道が南北に通じていて、中央に清らかな水が流れる用水堀がのびている。 道の両…

吉村昭「天狗争乱」の舞台を歩く(敦賀編)

明治を待てなかった志士たち NHKの大河ドラマ「青天を衝け」で「天狗党」が登場したこともあって、天狗党が散った敦賀では天狗党ゆかりの地に再びスポットが当てられています。 天狗党 福井パンフレット 「尊皇攘夷」を掲げて決起した水戸藩の改革派「天狗党…

吉村昭「日本医家伝」の舞台を歩く

「日本医家伝」は、医学関係の季刊雑誌「クレアタ」に3年間連載されたものをまとめた短編集で、いずれも江戸時代中期から明治初期にかけて活躍した12人の医家の生涯が綴られています。 取り上げられている医家は、吉村昭の長編小説にも主人公として登場して…

吉村昭「冬の鷹」の舞台を歩く

わずかな手掛かりをもとに、ほとんど独力で訳出した「解体新書」だが、訳者前野良沢の名は記されなかった。 出版に尽力した実務肌の相棒杉田玄白が世間の名声を博するのとは対照的に、彼は終始地道な訳業に専心、孤高の晩年を貫いて巷に窮死する。 我が国近…

島抜け-「梅の刺青」の舞台を歩く

吉村昭の歴史小説「島抜け」(新潮文庫)には、「島抜け」、「欠けた椀」、「梅の刺青」の三篇が収録されています。 今回は、その中の「梅の刺青」を取り上げ、その舞台を歩きます。 「梅の刺青」は、明治2年に日本最初の献体をした元遊女をはじめ初期解剖の歴…

万年筆の旅

「万年筆の旅」は、吉村昭記念文学館の広報誌の名称で、吉村昭の夫人で作家の津村節子氏による題字です。この広報誌「万年筆の旅」は吉村昭記念文学館の準備室が開設された2013年3月から発行されていて、最新刊は第15号となっています。 2006年1月、荒川区か…

小説「黒船」の舞台を訪ねて

ペリー艦隊来航時、主席通詞としての重責を果たしながら、思いもかけぬ罪に問われ入牢すること四年余。その後、日本初の本格的な英和辞書を編纂した堀達之助の一生を克明に描き尽くした雄編(「黒船」から) 小説 「黒船」では、 通詞堀達之助の数奇な運命を辿…

歴史小説「間宮林蔵」の郷里を訪ねて

間宮林蔵の郷里を訪ねて 吉村昭の小説「間宮林蔵」は、文化4年(1807)4月、千島エトロフ島のオホーツク沿岸にあるシャナの海岸にロシア軍艦が現れ、シャナ村を襲撃し、箱館奉行所の支配下にある会食(砦)の役人全員が逃避するという事件から始まります。 間宮…

「夜明けの雷鳴」の舞台を歩く

慶応三年、万国博覧会に出席する徳川昭武の随行医として渡欧した三十一歳の医師・高松凌雲。 パリの医学校「神の館」で神聖なる医学の精神を学んだ彼は、幕府瓦解後の日本に戻り、旧幕臣として函館戦争に身を投じる。 壮絶な戦場において敵味方の区別なく治…

「長英逃亡」を歩く

吉村昭「長英逃亡」を歩く 吉村昭の小説「長英逃亡」は、昭和58年3月から1年5ヶ月にわたって毎日新聞に連載された長編歴史小説である。 小説「長英逃亡」は、「逃亡」「医学」「蘭学者」「幕末」「史実」といった吉村昭がライフワークとしてきた題材をぎゅっ…

吉村昭「落日の宴」のゆかりの地を巡る

吉村昭の「落日の宴」は、幕末に欧米列強が押し寄せる中で、勘定奉行の川路聖謨の誠実な折衝により日本が植民地化を免れた史実を地道で細やかな取材により書かれた歴史小説です。 江戸幕府に交易と北辺の国境画定を迫るロシア使節のプチャーチンに一歩も譲ら…

吉村昭『彰義隊』から上野戦争の爪痕を巡る

吉村昭の最後の歴史小説『彰義隊』 『彰義隊』は、吉村昭が書いた最後の歴史小説です。 吉村昭は、生まれ故郷である日暮里や上野界隈を舞台とした上野戦争を小説にすることを望んでいたものの、躊躇していたと創作ノートで触れています。 それは、一日で朝廷…

吉村昭「桜田門外ノ変」ゆかりの地を歩く

「安政七年(1860)三月三日、雪にけむる江戸城桜田門外に轟いた一発の銃声と激しい斬りあいが、幕末の日本に大きな転機をもたらした。安政の大獄、無勅許の開国等で独断専行する井伊大老を暗殺したこの事件を機に、水戸藩におこって幕政改革をめざした…

吉村昭「闇を裂く道」の現場を巡る

先週末に読み終えた吉村昭さんの「闇を裂く道」が頭から離れず、渋滞を覚悟で、小説の舞台となった丹那トンネルと丹那盆地を巡ることにしました。 この小説は、東海道の熱海と三島の間を貫く丹那トンネルを開通させるまでの自然と人間の闘いをテーマにしたも…

吉村昭 史伝「暁の旅人」から見た松本良順の生涯

吉村昭 史伝「暁の旅人」は、松本良順の生涯を描く事を通して、幕末から明治維新に進む過程で起こった史実を描いています。 私は、若い頃、神奈川県平塚市に住んでいました。その頃、自転車でよく大磯の浜辺「照ケ崎海水浴場」に行っては、釣りを楽しんでい…

吉村昭 小説「生麦事件」から事件現場を追う

「江戸高輪にある薩摩藩下屋敷の生い茂った樹木から、蝉の声がしきりであった。」 の書き出しから始まる吉村昭の小説『生麦事件』。その事件は、文久2(1862)年9月14日、横浜郊外の生麦村で起こりました。薩摩藩、島津久光の大名行列に騎馬のイギリス人4人…

荒川区にある「吉村昭記念文学館」を訪ねました。

吉村昭生誕から90周年の節目に当たる2017年4月1日、吉村昭が生まれた荒川区に「吉村昭記念文学館」がオープンしました。 「吉村昭記念文学館」は「中央図書館」「ゆいの森子どもひろば」と一緒に「ゆいの森あらかわ」という建物に誕生しました。 4月1日の開…